ぱよまるは緑色

ぱよっとしてる緑色の物体がまるまるしてころころする

ぱとらっしゅ

ぼくはもう疲れたよ、眠らせておくれ。

ということで今日は一日地域文化イベントのお手伝いなど致しておりました。十二時間ぶっ通しで室内でひたすらいろいろ駆けまわったり踊ったり読んだりしました。疲れたよ流石に。自分で言うのもなんだけどまあなかなか頑張りましたし。うん。頑張りました。急ごしらえにしてはなかなか様になってたはず。まああとで本物の朗読やってたんですけどね、まああっちとこっちじゃ力の入れ方とかだいぶ違うし。しゃあない。でもやっぱり演劇は楽しいもんだよな、と思いました。ほんとは後輩たちにも出演してほしかったけど、まあ本人たちが嫌ならしょうがないよな。楽しいのにな。でも疲れてるなら仕方ないよね。うん。あんまりぐちぐち言ったってどうしようもないからやめます。

それはそうと、なんというかまあやっぱり私は民話とか神話とかめちゃくちゃ好きだなあと思いました。何回も読んだことある本のはずなのに、一回目を通そうとページを捲っただけであんなに面白くて読んじゃうなんてやっぱり何か魔力的なものでもあるんじゃあないかと思います。というか正直なんでみんな読まないんですかとさえ思う。なんか、いやあくまで主観というかほんと個人の意見だけど、なんか損だよなって、いや別に読まなくたって死んだり不利益を被るわけじゃないんだけど、でもこの娯楽を試すことさえせずにいる人たちがいると思うと、なんかすごく損のような気がします。無理やり跳び箱やリコーダーや近代小説を読ませたりなんかはするのにどうしてこういう歴史や地域なんかに根付いた娯楽の存在を教えないのでしょう。絵本や漫画など近代のファンタジーじゃない、人から人に、口から口に伝えられてきた無次元の本当のファンタジー、魔力の世界という原画をどうして人々が知らずに生きていけるのでしょう。お気に入りのお話ってやつがない人生は、何が楽しいんでしょう。もちろん、それは民話や童話に限らなくったっていいんです、例えばイルカの生態だとか美しい数式の話だっていい、もしくはその辺に転がった石ころのはなしとかでもいいんです。夢中になれる話が人間には必要で、その話になりうる民話や神話を後ろ手に隠して、いや、自分たちが隠していることさえ知らないで、何かもっと『ミのある』ものを追い求めている人間が多い気がします。よくないよそういうの。なんかわかんないけど、よくないと思う。健康とかに。

いっぱい書いたらもうちょっとで明日になりそうです。寝ます。